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城ヶ崎滋雄の“After You”

授業の本質,良好な人間関係の構築を綴ります。
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敢えて、ブレる

 人は適切な判断するよりも、周りの人に合わせて意思決定しがちです。「みんなが……」と周囲を伺い、集団から外れたくないという心理が働くからです。一人だけ違った行動を取ることは難しく、勇気が必要なります。このように、周りの人と同じ行動をとって安心感を得ようとする心理現象をハーディング効果といいます。
 例えば、良い行列ができているお店があると、美味しいのだろうと判断して、並んでしまいます。路面に面した店に入ると、窓際を案内されます。これは、行き交う人がこれをみると、「流行っている店」と思い、この店なら安心・間違いないというハーディング効果を利用した営業方法です。
 このように人は合理性よりも世間が良いとしているものを選択しがちです。空気に流されてしまうのは仕方がないことなのです。
 ハーディング効果の根底は「安心感」です。それは、過去に起因します。自分の過去の行動を正しいと判断すると、それを繰り返します。これをセルフ・ハーディングといいます。
 ハーディング効果は世間、自己ハーディングは自分の過去に影響を受けます。

 このことから、人は自ら変わることを望まない。人は変われないということがわかります。
・「だって」と言い訳ばかりして、自分の非を認めない。
・遅刻など同じミスを繰り返す。
 過去の行動を正当化することで繰り返します。これも自己ハーディングです。こういう人を見ると、プライドが高い、プライドが邪魔していると思ってしまいます。
 プライドとは自尊心です。本当に自尊心が高いのでしょうか。そうではありません。その逆です。自尊氏が低いのです。「だって」と聞く耳をもたないのは、自分が正しいと思っているからです。自分を正当化することで非はないと自分を優位に位置付けます。自己ハーディングすることで自尊心を高めようとしているのです。
 もし、相手の言うことを受け入れ、自分のやり方を変えると自分を否定することになります。自尊心を傷つけ、低めてしまいます。プライドの正体は自己防衛であり、それは自尊心の低さにあるのです。 
 自己ハーディングを続けるということは間違いに気づかないということです。間違ったことを正しいと思い込んでしまいます。噓から出たまこと、とはならないのです。
 
 「ブレない」と聞くと、信念を貫く、筋が通っていると好意的に解釈されます。美徳というイメージですが、私は違和感を覚えます。ブレないとは、人の話を聞かない、変わろうとしない、未来をみようとしないのだろうなと思っています。 
 ブレない人は自分よりも知識がない、能力が劣る人から学ぼうとしません。教師なら、「子供から学ぶ」ことをしません。では、誰から学ぶのでしょう。それは、自分よりも知識がある人。自分にない能力を持っている人です。
 私はブレてばかりいます。そんな自分をプライドが無いなあと卑下することもあります。いつも自信がありません。「これでいいのかな」と迷っています。
  よく解釈すると自分にこだわりがないので、とりあえず受け入れてみよう、やってみようと思っています。
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「らしさ」は強制ではなく、承認

 放課後、家庭科専科が、「掃除をしてくれたんですよ」と教えてくれます。

 家庭科は3・4校時。短縮期間中のため、掃除はありません。午後は各学校の先生が集まって家庭科室で会議をすることになっていました。専科は一人で掃除をするつもりだったようです。そのことを知った子供たちが「給食当番でないから手伝います」と掃除を買ってでたそうです。

・お客さんが来るから掃除をして歓迎する。

・短縮で掃除がないので、授業で使った状態のままで会議をすることなる。

・給食当番でないから、クラスに支障はない

・掃除を手伝える。

一瞬のうちにそんなことを思い、判断し、決断したのです。素晴らしい子供たちです。

私は給食当番の手伝いをしながら、「遅いなあ」と気にしていました。しばらくして教室に戻ってきた子供たちは「掃除をしていました」と当たり前のように言います。

「掃除をしてあげた」という恩着せがましさは微塵もありません。人の役にたつ、貢献することを学んだようです。

◆自主的に掃除をする子供たち。「高学年の自覚を持とう」という学級目標をみることがあります。「らしさ」を求める目標です。

 「らしさ」の主体は他者です。他者がそう思うのです。そのことで、「らしさ」を実感し、習慣化させようと子供は経験します。「高学年らしくしなさい」と事前に求めるのではなく、「さすが、5年生。高学年らしいね」と言うようにしています。

 4月からは6年生。「高学年」ではなく、「さすが、最高学年」と言われるのでしょう。期待しています。「らしさ」は強制ではなく、承認です。

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宿題がわからないから、教えて

子供は登校すると、宿題などの提出物を私に手渡しします。

iPadを持ち帰るようになってから、連絡帳はその対象から外していたのですが、先月から復活しました。保護者からの連絡がそこにあり、日にちが過ぎてから「先生、はい」と見せられることがあったからです。

子供は連絡帳を見せません。保護者は担任に伝えたいことがあるのでしょうが、子供は必要を感じていないのです。

「何か保護者から連絡が連絡帳に書いてあるかもしれない」と思い、先月から見ることにしました。見るからには、「見ました」という形跡が必要です。

そこで、時刻を書いています。私に連絡帳を見せた時刻です。たったこれだけですが、子供との会話の機会となります。「昨日と同じだね」、「1分ずつ早くなっているね」が呼び水となり、会話となります。「明日は何時」と聞くと即答する子供もいれば悩む子供もいます。

宿題の提出も会話の機会となります。漢字なら、「綺麗な字だね」と褒めたり、「この漢字は間違っているよ」と正しく教えたりできます。

算数は「全部わかったの」と驚いたり、「空欄があるね」と聞くと、「わからなかった」と答えたりします。宿題の出来具合で授業の内容を変え、復習に時間を割くこともあります。

「わからない」子供が「教えて」と言ってきます。その場で簡単に教え、残りは読書タイムを使います。顔を見ているとわかったのかそうでなかったのかがわかります。真剣な顔で聞いているのですが、「わからなかったでしょう」と聞くと、「うん」と遠慮することなく答えます。続きは休み時間を使います。

勉強を教えてもらっているという感じではなく、私とのやりとり、「おしゃべり」を楽しんでいるように見えます。安心さが根底にあるから、「教えて」と臆せずに言えるのでしょう。

最近は、同じ問題を何回も繰り返し教えています。違う問題でも考え方は同じなのですが、子供にとっては「全く別の問題。全く考え方が違う問題」と映ります。

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お礼の言葉を用意して最終クラブ活動に臨む

 お礼の言葉を用意して最終のクラブ活動に向かわせました。

今日はクラブ活動の最終日です。国語の時間は、教科書を離れ、「作文」の時間にしました。お題は、「クラブの先生にお礼の言葉」です。お世話になった担当者にお礼の言葉を伝えることを教えるのも教師の務めです。

 指導しなでお礼の言葉を言わせると、「楽しかったです。ありがとうございました」が関の山です。担当者が思わず微笑んだり感心したりして欲しいものです。まずは具体的に活動を想起させ、次の二つ構成します。

・印象に残った活動

・それを生活に役立て、生かしたこと

 例示を示します。「5年2組の◯◯です。(カルタクラブで)百人一首をやったおかげで、正月は家族で1番になれました。1年間、ありがとうございました」。

 完成した子供からテストをします。口頭で名乗ったあとに、「僕は1年間で楽しかったことは」と続けたので、「ストップ」と制止します。これは全てのクラブに当てはまります。そのクラブだから言える内容にしなければ価値がありません。

また、これでは聞く側が待たされます。聞きたいと思わせるには最初の3秒が勝負です。3秒で相手の心を捉えなければなりません。結論をズバリと言います。エピソード、伝えたいことを最初の3秒で伝えます。それを生活でどう生かしたのかと繋げます。

 K君は「(消しゴムはんこクラブで作った)作品を自宅の金庫にしまってあります。1年間ありがとうございました」と言います。消しゴムはんこは使うために作ります。金庫にしまっては意味をなしません。「どうして金庫にしまったの。使えないよ」と聞くと、「兄弟に使われないように、大事にしまったの」と答えます。それなら納得です。「じゃあ、それを加えよう。担当の先生はにっこりするはずだよ」とアドバイスをします。

消しゴムはんこクラブは活動の始めに「今年の振り返り」を一人ずつ発表したそうです。それを聞いたS君は、「みんな同じことしか言わなかったよ。でも、僕が『金庫』の話をしたら先生は笑っていたよ」と得意そうに言います。

 放課後、O先生がわざわざ私の席に歩み寄って、「城ケ崎先生の情熱を見習いたい」と言います。クラブ活動が終わると、N君からお礼を言われたそうです。「この子ならこんな気の利いたことを言うだろうなあ」と感謝しました。さらに、Mちゃんから同様な内容のお礼を言われた時に、「あれ?」と気に留まったそうです。そして、「そうか。二人とも城ケ崎先生のクラスだ」と共通点に気づき、「これは担任の指導が入っている」と得心したそうです。それに気づく小野瀬先生はさすがです。

 二人のお礼に心を打たれたO先生は、「城ケ崎先生は情熱がありますよね」と感心し、「私も情熱を失わないようにします」と力強く言います。同僚の足手まといにならないようにしているだけです。

 T先生も「S君が『家庭でも親とバトミントンをしています』とお礼を言ってくれました」と報告します。「実は、お礼の練習をしたのですよ」と告げると、「それで!」と驚いていました。

N先生からも、「Rさんからお礼を言われました」と報告を受けました。

◆子供の活動の源は安心から自信です。それを作るのが教師の役目です。子供の活躍には教師の仕掛けがあるのです。

 

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書き初め練習で久ぶりに弟子入り

◆先週の木曜日は、久しぶりにA先生の習字塾で書き初めの練習をしました。

 A先生の指導力は秀逸です。学校の代表は各学年1名の6名です。市内の小学校は55校あり、330点が集まります。その中から優秀な3点が選ばれ、市長賞・市議会議長賞・教育長賞として表彰されます。オリンピックに例えると金メダル・銀メダル・銅メダルです。A先生の塾生がそれを独占したこともあります。特筆されるのは県のナンバー・ワンにあたる知事賞を獲得した塾生がいます。

◆かつて勤務していた学校でクラスの選考、学年選考となった作品はいずれも同じ書体です。一目で「同じ習字塾」とわかります。子供たちに「どこの習字塾に行っているの」と聞くと、皆A先生でした。そのことがあって、我が子が就学すると、A先生の元に通わせたのが、A先生とのご縁の始まりです。

 習字専科となった時、「筆遣いをしっかりと教えたい。理論を学びたい」と思い、A先生の元に弟子入りしました。授業で教える文字を小学生の中に大人が一人だけ混じって練習しました。子供たちは6時頃に帰るのですが、それから1時間はマンツーマンで筆を持ってもらって教わりました。先生の指導言通りに筆を動かしているのですが、思い通りに文字になりません。そこで、「筆を持って教えていただけませんか」とお願いすると、先生は快く承知してくださります。私が軽く筆を持っているだけです。先生が筆を動かすと、それが私の手に伝わります。力の抜き加減、筆遣いが伝わってきます。手取り足取りと言いますが、習字は筆を持ってもらって、手に動きを覚え込ませるのが上達の近道だと実感しました。稽古事は感じることです。それ以来、学校での習字でも筆を持って教えていました。

◆市の書初め展の5年生の代表は私のクラスのKちゃんです。火曜日に席書会・選考があり、明明後日の金曜日には担当者へ提出です。練習する時間は木曜と金曜しかありません。

 代表の子供の指導は担任がすることになっています。Kちゃんには市長賞を取って欲しい。それが叶わなくても、今よりも上手になったと実感して欲しい。選ばれてよかったと満足して欲しい。そのためには「良い指導」が求められます。私にはそんな実力はありません。そこで、A先生に指導を乞うことにしました。A先生は快く引き受けてくださいました。習字塾では学校代表に選ばれた他校の5年生と6年生の二人が練習をしていたので、しばらくは見学していました。子供とはいえ達筆です。「なるほど、そう書くのか」と勉強なります。A先生の指導言がそれを補完し、筆遣いをイメージできます。

 二人が帰ってからいよいよ私の練習が始まります。「作品の良し悪しは『の』で決まりますね」とA先生が言います。5年生の課題は、「友の便り」です。「の」があります。実はクラスのKちゃんが学年代表になったのは、「の」の出来栄えでした。

 5時30分にお邪魔したのですが、終わったのは8時30分前です。3時間も練習していたことになります。練習用紙一袋(20枚)を使い果たしていました。

これでKちゃんに教えられます。